兵庫県政の混乱は知事の失職と再選挙によってようやく再建への道筋が見えてくる状況になった。この3年余りの兵庫県は一貫して混乱状態にあることが伺え、自身もこの間複数の委員会で委員長を勤めて来たが、外部委員会に何を求めているのか、県が何をやりたいのかが分からず職員が右往左往している様子が見て取れる状況であった。そのような中で外部委員を務めても社会的な貢献となっていないのではとの疑問が拭えなくなり、思い悩んだ末に就任後一定の期間が過ぎたことを理由に昨年度末でこれらを退任した。
その後の失政と混乱は全国規模の注目を浴びることになり、地方自治の歴史における汚点的な事柄として多くの教訓を残すこととなった。尊い人命を失うこととなったこの不幸な事件から、何を学んでいくかが大切であると思う。
近代の地方自治制度において一貫して維持されてきた都道府県と市町村の二層制。市町村は明治、昭和、平成と大きな合併を経て現在の形になっている。また地方分権改革によって多くの事務権限が市町村優先の原則に基づき市町村に委譲されてきた。一方で現行制度において都道府県が担うべき役割は、市町村の区域を超える広域事務、市町村間の連絡調整事務、そして市町村が単独で担うことが困難な事務を補う補完事務の三つとされている。
市町村区域の拡大やデジタル化の進展によって広域事務や連絡調整事務の役割は小さくなっている一方で、補完事務の範囲と手法は個々の都道府県が判断しておりその姿勢は各団体によってかなり異なる。財源や人材を必要とする補完事務に都道府県が積極的に乗り出すことには大きな決断を伴うことから、結果的に多くの都道府県では産業振興や観光振興、公立大学の設置や市町村への指導的関与、地域を代表して国への意見を述べることなど、住民が日常的に必ず必要とするサービスではなく、どの組織が担っても構わない、いわば国と市町村の中間組織としての「虚業」的な仕事を中心に担っている団体が多い。政治の世界ではいまだ歴然と残る国、都道府県、市町村というヒエラルキーが政治のみならず行政や世間一般においても維持され、そのステイタスが実際の県民意識や制度上の役割の軽重と釣り合わなくなっているのが都道府県の現状である。
組織はその組織の大きさと歴史の長さに比例して、内向き志向の閉鎖的なものとなっていく傾向が強くなる。さらに競争や顧客ニーズなど外部要因による圧力が少なく、組織存続は確保されているものの役割が低下している官庁組織においてはその弊害はさらに増幅する可能性が高い。
兵庫県政の混乱は、ポピュリズム的な有権者の投票行動による選択の過ちがもたらす大きな代償を最低限にしていくにはどうすべきかという点とともに、東京都を例外として明治維新以来ほぼそのまま維持されている都道府県という存在が本当にこれからもこのままの形で必要なのかという大きな二点において、現在の地方自治制度に大きな問題提起をしている。