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兵庫県の行方

兵庫県の混乱は相変わらず続いたまま今日を迎えている。もはや県民というよりはネットを始めとする全国民を巻き込んだカオスの状況のなか、正直県民のひとりとしてはどうでもいいや的な感じもある。ネット世界は別にしても、現実の地元の社会ではそんな感じが漂っていることをひしひしと感じている。

 

選挙とは本来は、自らに代わって税の使い道を決めたり、行政執行をすることを託する人を選任するための制度である。いつの間にかそれが、自らの政府や自治体、そして既存権力を有する存在などに対する感情を表現する手段に変わっているように思う。そのような感情によって選ばれた首長や議員は、もはや託された人ではなく、有権者の感情の吐露の受け皿となった人と見るべきである。

 

自治体の混乱が有権者たる県民にどのような不利益を与えるのか、多くの人はほとんど何もないと思っているだろう。何もないと思っているからこそ、選挙が感情の表現手段となり得るのではないだろうか。ただ本当にそうなのか。

兵庫県の混乱が有権者である県民にどのような不利益をもたらすのか、否が応でも目の当たりにする時が近づいているような気がする。